あとがきにかえて ー 母のこと|ルチアの育毛

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あとがきにかえて ー 母のこと

あとがきにかえて ー 母のこと

私の母は霊能者でした。
私が母を霊能者として認識したのは、かなり大きくなってからだったと思います。
母の子として生まれ育った私には、母は単に母だったからです。
兄弟の中で最も体が小さく、しかも病気がちで幼稚園にも通わず学校も休みがちだった私は他の兄弟たちよりも母と過ごす時間が多かったのです。
そのため、朝に母から、「今日は午前中に○人、午後から○人のお客さんがある」と教えられ、「今度のお客さんはコーヒー牛乳が好きだから、◇◇さん(自宅から一軒置いた隣の駄菓子屋さん)に行って買ってきなさい」と言いつけられたりするのが当たり前でした。
その頃の我が家は貧しく、今ではどの家庭にも備わっている冷蔵庫がありませんでした。
だから、暑い夏の日には来客の直前に飲み物を買いにいかなければならなかったのです。
ある日のこと、母から「□□のバス停のところにスイカを持ってハンカチで首を押さえながら困っているきれいな人がいる。その人はうちのお客さんだから行ってあげなさい」と言いつけられて自宅近くから2つ先のバスの停留所までその人を迎えに行きました。
私が、「おばさん、うちはこっちだよ」というと、その女性はびっくりした様子で、「あなたはだれ?」というので、母の名を告げると、「どうして私がここにいるとわかったの?」と当時の私には理解できないことを言いました。
母が来客のいでたちや様子を具体的に知っているのが当たり前のことだったから、私はその女性を「おかしなことを言う人だなー」と思いつつ家に案内しました。
今ならわかります。その女性がなぜあんなに驚いたのかが。
その女性は母の評判を伝え聞き、事前連絡なしでその日初めて我が家を訪ねてきた人だったのです。
当時は電話のある家は珍しく、貧しかった我が家には当たり前のことですが、電話がありませんでした。だから、普通に考えて母がその女性の来訪を知る手段がなかったのです。ましてや、「□□のバス停のところにスイカを持ってハンカチで首を押さえながら困っているきれいな人がいる」ということを具体的に知る術などあるはずがなかったのです。
それほど高い霊能力を持った母でしたが、長い間、相談者から一切の謝礼を受け取りませんでした。

娘の私が言うのは憚(はばか)られますが、母は清らかな女性でした。いつも口癖のように、「生き物だけではなく、木にも、草にも、岩にも、どんなものにも魂がある」と教え、私の目には花々や動物たちとも会話しているように見えました。

また、ある時こんなことがありました。母と散歩をしていた時のことです。近くの工場のレンガ塀から道に大きくせり出した木を指さして、「覚えておきなさい。あれが緑の大きな葉の木だよ」と教えられました。その数日後の日曜日、母が私に、「この前、緑の大きな葉の木が、『私は食べられるから食べてください』と言っていたから、行って葉を取ってきなさい。だれも食べないから木がかわいそうだから、塀の外に出ている葉を取ってきなさい」と言いました。
私は、急いで工場に行くと、日曜日で門が閉められたレンガ塀によじ登って、かわいそうな木のためにできる限りの葉を摘み取り家に持ち帰りました。
そして母の言いつけ通り、隣の家のおばさんに、
「お母さんが緑の大きな葉を料理している」と告げました。
その頃母の手料理は近所の人たちにとても人気がありました。
たちまち「どれどれ」とお菓子などを持参した人たちが母の手料理を食べにきました。
その人たちはみんな、生真面目な父の給金だけで8人の子を育てていたつましい母に好意を持っていてくれて、なにか口実をつくっては食品を差し入れてくれる人たちでした。
緑の大きな葉は本当に美味しかったので、あっという間になくなりました。
母はほとんどの人が食べないスギナなどの野草類でさえごちそうに変えてしまうほど、山野菜を料理する名人でしたが、今思うと母の珍しい料理は、私たち子どものおやつを調達するための生活の知恵だったのでしょう。

その木が伐採されたあとでわかったことですが、「緑の大きな葉の木」というのは、その木の名を知らなかった母が見たままの印象を言い表したもので、その木の名称ではありませんでした。でも、貧しさを工夫で凌(しの)いでいた母に向かってその木が、「私は食べられる」とささやいたのは本当のことだったと思います。

また、母は困っている人を見過ごすことができない人でした。
私が小学校低学年生だった頃のある日、開け放してあった玄関から入ってきた私と同年代の女の子が恥ずかしそうに、「おばさん、お米を貸してください」と言いました。我が家には戸締りの習慣がなかったのです。
母は一瞬困ったように前掛けをくしゃくしゃと触りました。
すると女の子は「ごめんなさい」と言って踵を返しました。
母はほとんど反射的に「待ちなさい」と彼女の肩を引き寄せると、急いで米櫃からいくばくかのお米を取り出すと「これは返さなくてもいいからね」と持たせて帰しました。
女の子は何度も何度もお礼をいうと、母から渡されたお米を本当に嬉しそうに抱いて走り去りました。
女の子の姿が見えなくなると、母は私に向かって、「○○さんの家に行ってお米を借りてきなさい」と言いました。
小さい女の子に持たせたお米は米櫃にわずかに残っていた最後のお米だったのです。
目の前で困っている人に手をさしのべないではいられない。母はそういう女性でした。

こんなこともありました。
私は猫が苦手だったのに、黒い捨て猫を見かけた母が、「あの猫は一週間ぐらいしか生きられないから」と全身を逆立てて母を威嚇していた猫を苦もなく手なずけると、毎日の食生活にも困っていた我が家に連れ帰り、「せっかく生まれてきたのだから」と傷だらけの猫の体を優しくなでながら、牛乳を飲ませ、食べ物を与えました。
6日くらい経つと、その猫がいなくなりました。母は「死ぬところを見せないように出て行った」と言い、その翌日、私を連れて近くの空き地に行き、そこで死んでいた猫の死骸を見つけると、「死に姿を見せないのがこの猫のお礼だったんだよ」と言い、泣いている私に「生きている人間は死んだ相手に何もしてあげられないよ。埋めてやることしかできない。それが死ぬということだよ」と言って枯れ枝を拾ってそばの土を掘って丁寧に埋葬しました。

埋葬を終えると母は強いまなざしで私をじっと見て言いました。
「今生きている人もいつか必ず死ぬよ。お母さんも、お父さんもあなたたち兄弟もみんな死ぬの。病気だったり、事故だったり、殺されたり、理由はいろいろでも、死なない人はいないの。だけど、どんな形で死んでも、生きている人は死んだ人に何もしてあげられないのだから、あなたは死んだらこの世に想いを残してはダメ。生きている人に自分の気持ちを伝えようとしては絶対にダメだからね。生きている人には死んだ人の声は聞こえないし、もし聞こえても何もしてあげられないのだからね」と強く戒められました。
私がまだ、母を霊能者と認識する前の出来事です。

母が言うには、母の霊能力は父と結婚した後に備わったといいます。
詳しい内容はあえて記しませんが、「井戸のところで水神様(母は「みずがみ様」と呼びました)があらわれて」霊能力を授かったそうです。私が生まれる8年以上も前くらいだったと言いました。私は、望んでもいない霊能力を得てしまった母が本当にかわいそうだったと思います。
確かに霊能力に助けられたこともあったでしょうが、それを知ったところで回避してやることもできない、人の死期がわかってしまう残酷さや、どうしてやることもできないのに、縁もゆかりもない死者の訴えが絶え間なく聞こえるのです。

その母は、長い間霊能力に対して相談者が差し出すお礼を頑なに辞退していましたが、私たち子どもの成長に伴う学費などに困窮してやむをえず受け取るようになりました。
すると、我が家にはまるで堰(せき)を切ったようにたくさんの相談者が訪れるようになり、それまで霊能を示唆するような仏像も祭壇もなかった我が家に相談者によって観音像が持ち込まれ、嫌がる母を強引に説得する形で祭壇が設えられると、人々が母に向かって手を合わせるようになりました。
それを嫌った母が頃合いを見計らって祭壇を取り除くと、別な相談者たちの手で新たに祭壇が設えられる。しばらくすると母の手でまた祭壇が取り除かれる、といったイタチごっこが繰り返されました。
そしてその頃から母は体調不良を訴えるようになりました。母の体調不良と霊能の因果関係は不明ですが、母が霊能力を持て余していたのは明らかでした。

「神様に頼ってはいけない」というのが、母が私たちに最期に遺した言葉です。

私がこの「あとがきにかえて」で本編とは関係のない母のことを書こうと決意したのは、生涯霊能力に苦しめられていた母の、「できることなら本にして世間の人に知ってもらいたい」という願いを一人でも多くの方に知っていただきたかったからです。

「この世に生きるすべての人が、死そのものをきちんと受け入れて、まっすぐあの世に行けば、人々が霊能力者を必要としなくなる。生きている者は死んだ相手に何もしてあげられないのだから、死んだらこの世に遺された者に自分の想いや願いを伝えることを諦めてほしい。今生きている人がこの事実としっかり向き合い、子どもたちにもこのことをきちんと伝えてやってほしい」

と、母は痛切に願っていました。

私も同じように考えます。
人は必ず死にます。だから、命が尽きたら絶対にこの世にかかわってはいけないと子どもたちに強く、強く教えなければならないと考えます。

本書によって皆様のお悩みが少しでも解消されますことを願って止みません。

2019年12月 株式会社ルチア 代表取締役 東田雪子