まえがき|ルチアの育毛

まえがき

まえがき

私は30代半ば頃に自分の顔にたくさんのシミを発見して愕然とした。
それまで美容に全く無関心な私だったが、このシミを何とかしなければという強い思いにかられて、エステティックサロンをいくつも訪ねた。
しかし、当時のエステティック技術では私の顔にできたシミを消せなかった。
その現実に直面した私は、「今のエステティック技術でシミが消せないのなら自分で消そう」と思い立ち、エステティシャンになることにした。

私はとても研究熱心なエステティシャンになった。
なにしろ自分のシミを消すのが目的でエステティシャンになったのだから。
私は自分自身の知識や技術を高めるために可能な限りの努力を惜しまなかった。
日本国内においては、化粧品業界やエステ器具メーカーが開催する講習会には、東京や大阪はもちろん、地方都市にも極力出向いて参加した。
講習会に参加した最も大きな収穫は、「今の日本の化粧品ではお客様がきれいにならない。輸入化粧品は日本人の肌に合わない」という、同業者たちからのアドバイスと、彼女たちの経験に裏打ちされた知識だったように思う。
彼女たちの体験談を聞くうちに私は、「それなら私のサロンではお客様一人一人のお肌の状態に合わせて使い切りの美容液を自分でつくろう」と、無謀にも自分の顔を実験台にして、有効成分などの配合量の多寡(たか)による違いの研究を始めた。
有効成分の量が少ないと効果を得られず、逆に量が多過ぎたり、組み合わせが悪いと肌トラブルが生じてしまう。顔の皮がむけてしまったり、顔全体が魚のウロコ状態になってしまって外出できなくなったことも何度もあったが、研究の甲斐あって私の顔のシミはきれいになった。

毎日一人一人のお客様の肌の状態に合わせて使い切りの美容液をつくり、お客様にきれいになっていただけるエステティシャンとしての日々はとても充実した時間だった。
そんなある日、鏡の前でふと髪をかき上げた私はそこに白髪の群生を見つけて「人生終わった」と思った。たかが数十本の白髪でなぜあれほど衝撃を受けたのか、今となってはわからないが、当時は本気でそう考えた。
「この白髪を何とかしたい」と思い、市場で販売されている育毛剤を購入したところ、顔に垂らさないようにとの注意書きがあった。髪と肌の主成分がともにケラチンという蛋白質なのに、顔につけてはいけない育毛剤に効果があるはずがない。

別の育毛剤を購入して開封すると、その強烈な臭いに驚いた。これも使えない。
それからというもの、片っ端からいろいろな育毛剤を取り寄せたが、結果はどれも同じだった。
「こんなに探しても見つからない。だったら探すより自分で作ったほうが早い」私はまたしても無謀なことを考えた。
そしてこれまでの常識を根底から覆すヘアケア商品製造への挑戦が始まった。
肌と髪の主成分が同じなのだから、ヘアケアも私の得意分野だと思い込んでの挑戦だった。私はサロンで暇を見つけては自分のための育毛剤を調合して、髪の根元に擦り込んだ。そして残った液をその日のお客様の髪の根元につけるようにした。結果は上々で、お客様方の髪質が急速に良くなり、私の白髪も解消した。

さまざまな経緯があって私はヘアケア製品の製造販売を手掛けるようになった。
エステティシャン時代に培った知識と経験を生かしての製品づくりだったが、今とは違って当時は製造工場を持っていなかった私は、いくつかの化粧品会社に製造委託の申し出をしては断られていた。
「これは化粧品であってヘアケア商品ではない」
「こんなものが売れるわけがない」というのが共通した断り文句だったが、中には、
「育毛なんてやくざな仕事はあなたのような女性がする仕事ではない。育毛剤で本当に毛が生えたらスッポンポンになって銀座を逆立ちして一周してやる」とまで言った育毛会社の重役もいた。

結果として製造を受けてくださったA社の社長からは「原価計算が全くできていない。あなたは破産するかもしれないので協力できない」とまで言われた。断られ続け、その頃にはほとんど自棄(やけ)になっていた私は、「破産してもあなたに迷惑をかけるわけじゃない」と自分でもびっくりするようなタンカを切ってしまった。
すると、「そこまで言うのなら」と製造を引き受けてくださった。
こうして私が立ち上げた株式会社ルチア(ラテン語で「光」の意味)は、エステティックサロンから育毛専門メーカーに業務内容が変わった。
発案からおよそ6年、ようやく完成した商品を前に私は「これで日本から髪の悩みがなくなる」と意気揚々だった。本気でそう思っていた。
でも世間はそんなに甘いものではなかった。

出来上がった商品を私は流通に乗せることができなかったのである。
なぜなら大手卸売業者が「化粧品の原価なんてこんなものだから」と示した買い値が、なんと、私が開発した商品製造原価の半分以下だったのだ。
この時になってようやくA社社長の言葉の意味がわかった。その後の展開は推して知るべしというところである。
リピート率が限りなく100%に近くても、シャンプーとコンディショナーは約4か月分である。つまり次に買っていただくのは約4か月後なのだから、元モニターとエステサロンのお客様、その口コミのお客様への限定販売のような状態で大量の商品が売れるはずがなく、会社は破綻への道をまっしぐらに進む状態だった。
手持ちの資金が底をつき、スタッフにいつどのように会社閉鎖の意向を伝えるべきかと悩む私のもとへ、まるで計ったようなタイミングで一通のハガキが届いた。
お父さんへの誕生日プレゼントにと商品をお買い求めになった女子高生からのハガキで、スタッフから手渡されたそのハガキには、「父はひどいアトピーで毎晩眠っている間に頭をかきむしるので、朝になると父の枕とシーツが血だらけでした。これまでいろいろなシャンプーを使いましたが、どれもダメだったのに、ルチアのシャンプーで良くなりました」と、たくさんの「ありがとう」が書かれていた。

私はこぼれる涙を止められなかった。
「ああ、私は間違っていなかった。これで心おきなく会社を閉められる」とこの一通のハガキで心底思うことができた。おかしな話だが、深い安堵を覚え、一切の迷いが吹っ切れた。そして明日スタッフに対して会社を閉める旨を伝えよう、と決意した。
ところが翌日、今度は40代の男性からの手紙が届いた。そこにはこれまでの育毛に関する苦労と私への感謝の言葉が綴(つづ)られていた。

すると、私がツッチーと呼んでいたスタッフが「これはもう続けるしかないですよね」と、まるで私の心を見透かしたように言い、「インターネットがあります。インターネットで売りましょう」と当時の私がその存在すら知らなかったネット販売を提案し、これを実現してくれた。

私は人と時代に恵まれたのだ。
そしてツッチーが退職した後も会社経営の基本である企画、立案、交渉事はすべて私の長女を含むスタッフたちが担ってくれている。
このように、これまでに出会った多くの方たちのご尽力と、娘、歴代スタッフたちのお陰で現在のルチアがある。
ところで、私のもとを訪れる相談者の皆さまの育毛経歴は、まるでドラマのシナリオにしたがっているかのように似通っていて、私がヘアケアを始めて以来ほとんど変わらない。端的にいえば、髪と頭皮についての正しい知識を持たないがために、間違った風説に惑わされて必要もないヘアケアを施してしまい、かえって脱毛を進行させてしまっているのだ。

本文で詳しく述べていくが、多くの方が有名育毛サロンなどに通い、驚くほど高額な手入れを受けて、かえって深刻な脱毛症になってしまっている。
中にはこれまで費やした金額を示しつつ「もっと早く出会いたかった」と涙を流す人も少なくない。私はそのたびに言いようのないやりきれなさを覚える。
そして髪と頭皮に関する正しい知識を一人でも多くの方に知っていただきたいという想いが強くなる。

そんな想いから
『確実に利くハゲ治し理論』(1999年、たちばな出版刊)
『これだけ知っていればハゲになりません! 発毛・育毛の新常識』(2003年、日刊工業新聞社刊)
『育毛の真理』(2009年、KADOKAWA刊)
『発毛・育毛はコロンブスの卵』(2010年、KADOKAWA刊)
と計4冊の著書を世に出した。嬉しいことにいずれも増刷を重ねている。
私はこの4冊の執筆を以(もっ)て書くべきことはすべて書き尽くしたと考えていた。
なにしろ、ヘアケアを始めて以来、全く揺るがない私の理論を出版のたびに言葉と切り口を変えて4度も書いたのだ。私の文章力ではこれが限界と考えた。
しかし、これも本文で詳しく述べているように、近年当社を訪れる相談者の頭皮の状態に大きな異変が見られるようになった。この現実を広く知らしめる必要があるのでは? との思いが募り始めたところへ現代書林さんから出版のお話をいただいた。

それでも、育毛に携わって30年経った今も変わらぬ理論をまた新しい文章にする自信が持てないと逡巡(しゅんじゅん)する私に、娘が、「自分の文章を引用するのは当たり前。そんなに悩むならリニューアル版として出したらいい」と進言してくれた。
この言葉が背中を押してくれた。私がどうしても伝えたかった、時とともに大きく変わった脱毛の要因とその対処法について前述の『確実に利くハゲ治し理論』を基に大幅に加筆・修正しての出版である。

繰り返しになるが、本書の根源は私自身が構築した揺るぎない薄毛予防、ハゲ治し理論である。どうぞ最後までお読みいただき、発毛育毛がいかに簡単であるかをご理解いただきたい。本書が読者の皆様のお役に立てますことを願って止みません。

2019年12月 株式会社ルチア 代表取締役 東田雪子